大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

前橋簡易裁判所 昭和39年(ろ)30号 判決

被告人 高野三夫

昭一〇・二・一八生 自動車運転手

主文

被告人は無罪。

理由

一、本件公訴事実は「被告人は昭和三八年七月一一日午后七時三〇分ごろ、前橋市南曲輪町地内群馬大橋上において、通行中の花輪清隆(当時二一才)と些細なことから口論の末、同人の右腕に咬みつき、更に首をつかむ等の暴行をなしたものである」というのである。

二、弁護人は、被告人の行為は、被告人が花輪から車道上に仰向けに押し倒され、殴打されるなどの暴行をうけたので、身の危険を感じ自己の生命身体を防衛するため止むを得ずなした行為で正当防衛である旨主張する。

三、第一回公判調書中の被告人の供述部分、被告人の当公判廷における供述、証人石井芳太郎、同森尻隆二および同花輪清隆の当公判廷における各供述を総合すると公訴事実記載のとおりの被告人の所為を認めることができる。

四、そこで被告人の所為が正当防衛であるか否かについて考察することとする。前掲各証拠ならびに被告人の司法警察員に対する供述調書、証人持田勝夫の当公判廷における供述および当裁判所の検証調書を総合すると次の各事実を認めることができる(なお、右各証拠中次の各認定事実に反する部分は採用しない)。

(一)  被告人は、昭和三八年七月一一日午后七時三〇分ごろ、自転車に乗り、勤務先(東群運送株式会社新前橋車庫)から帰宅すべく、前橋市南曲輪町地内群馬大橋北側歩道兼自転車道を東進中、先行する花輪清隆の乗つた自転車を追い越そうとしたところ、同人が酒に酔つて蛇行していて被告人の進路に寄つてきたため、被告人の左足と花輪の自転車が接触したこと。

(二)  そのため被告人が「あんたぶつついたんだからあやまつたらいいだろう」などと声をかけたところ、花輪がこれを咎めて口論となり、その挙句、花輪が被告人の襟首をつかんだり、手を振り上げて被告人を殴打しようとする態度を示すに示つたこと。

(三)  そこで被告人は、同人を前記大橋の東袂にある前橋警察署群馬大橋派出所へ連れて行き警察官に仲裁してもらおうとしたが、同人が同行を拒んだので一人で同派出所へ行き、巡査持田勝夫に事情を告げ、同巡査と共に群馬大橋上中央附近の花輪のいる所へ戻つたこと。

(四)  ところが花輪は、警察官が来たのに拘らず、「なんでお巡りを呼んで来た」「交番なんかに行くいわれはねえ」などと言いながら再び被告人に向い顔面を殴打したり、胸倉をつかんで押したり引いたりの暴行を加え、さらに、被告人を歩道と車道との間の鉄骨に押しつけ、車道へ押し倒したこと。その際花輪も被告人の上へ一緒に倒れ、仰向けに倒れている被告人の上に乗りかかつた状態になつたこと。

(五)  そこで被告人は、花輪からさらに暴行を受けるおそれがあり、なお、車道へ倒れたので自動車に轢かれる危険をも感じ、自己の上に乗りかかつている花輪からのがれるため、とつさに花輪の右腕に咬みつき、同人が「痛い」と言つて体をよけた隙に起き上り、歩道上に逃がれ出たこと。また被告人は、花輪から右(四)のとおり一連の暴行を受けた際、これから逃がれるため、花輪の首をつかむという行為をなしたこと。

(六)  持田巡査は、花輪の前記(四)の暴行に際し「やめろ、やめろ」と口頭で制止したが、実力でやめさせる行為には出ていなかつたこと。

(七)  花輪は、その後右派出所へ連れて行かれてからも、持田巡査の制止にもかかわらず、被告人の顔面を殴打したこと。

(八)  被告人は、花輪の以上の暴行により、全治一週間を要する右頬部打撲の傷害を負つたこと。

(九)  花輪は、酒癖が悪く他人にからむ性癖を有し、傷害、恐喝などの非行前歴のある者であり、本件当時もかなり多量に飲酒して酩酊しており、石井芳太郎、森尻隆二および持田巡査らが暴行をやめさせようとしたが、暴れて手がつけられない状態であつたこと。

(一〇)  被告人は、昭和三三年以降前記運送会社に勤務し、同三四年一二月から自動車運転手をしているもので、同三六年一月、同年五月および同三八年三月の三回、いずれも交通違反で罰金に処せられたことがあるが、そのほかには前科前歴はなく、粗暴な性癖を有するものとは認められず、本件当時も全く飲酒していなかつたのであつて、花輪と口論とはなつたが積極的に暴力による攻撃を加えたことなく、終始防禦的立場にあつたこと。

以上(一)ないし(一〇)認定の事実にもとづき、被告人と花輪との間の争いを全体として考察すると、被告人と花輪との間には口頭による応酬はあつたが、暴力による攻撃は酒に酔つた花輪が被告人に対し一方的になしていたもので、被告人は、終始花輪を暴力で攻撃する意思はなく、挑発行為と目されるような行為に出たこともなかつたことが明らかである。したがつて双方が互に相手を侵害する意思をもつて攻撃、防禦を繰返すいわゆる喧嘩闘争ではないと認むべきである。

そこで、被告人の行為について考えてみると、(1)、前記(四)認定の花輪の暴行は、被告人に対する急迫不正の侵害と認められ、(2)、被告人が花輪の腕に咬みつき、首をつかんだ行為は、前記(五)に認定したとおり、花輪の急迫不正の侵害に対し、自己の身体を防衛するためなした行為と認められ、(3)、前記(四)、(五)のような状況下においては、腕に咬みつき、首をつかむというそれ自体防禦的な反撃行為に出ることは、防衛の程度を超えない止むを得ないものと認めるのが相当である。

よつて、被告人の所為は、刑法第三六条第一項所定の要件に該当し、正当防衛行為として罪とならないものであるから、刑事訴訟法第三三六条により被告人に対し無罪の言渡をすべきものである。

(裁判官 伊沢行夫)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例